『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』宮崎駿

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

チャップリンは間口が広いが見ている内にいつの間にか階段を上ってしまう。エンターテイメントの理想なんじゃないのか。その対局がディズニーだ。ディズニーで一番嫌なのは入口と出口が同じだということ。
手塚治虫の漫画は認める。が、アニメは認めない。彼は本来ヒューマニズムではないのにそのフリをする。それが破綻をきたしているのが『ジャングル大帝』だ。
・手塚はニヒリズムの人だ。けれど、原体験のディズニーを否定できなかった。あんな『白雪姫』なんて駄作を。
・(『もののけ』について)侍と農民だけの支配と被支配っていう、そういった歴史観だけで映画を作ることに我慢ならなかった。
・(アシタカが冒頭でいきなり呪われることについて)不条理に呪われないと意味がない。アトピーや小児喘息になった子供とか、エイズとかこれからますます増える。不条理だ。
・憎しみや憎悪は掻き立てると相手に再生産される。逆上すると腕から黒いものがブワっとというのは僕の実感。
・(『千と千尋』について)今回、映画の山場は電車に乗って行くところ。その前の追っかけたりってのはただの前段階。
千尋が自分の意志で電車に乗って、幻想の世界と現実の世界を全部自分の世界観の中で引き受けたっていうことをストーリーで定着させた。
・(釜爺やリンについて)僕は人生の過程を振り返るといつもそういう先輩がいた。
・(『トトロ』の景色について)みんな自分の中に多分僕と同じようなストックを持ってるんじゃないかということを感じた。
・トトロは台風の夜に登場する予定だった。誰もが共通できる日常の中の非日常性。それをきっかけにトトロがあらわれる。
・(『魔女』のおばあさんのパイを無下に扱う女の子について)僕は子供のときから自分が楽な思いをして育ったっていう自責の念を抱えている。あのシーンで子供は憤慨するだろう。けれど、その腹を立てさせる側を気付かずに自分がやっていることが一番つらい。職業によって自分の態度を変えるっていうのは絶対しないっていうのは、それだけは戦後民主主義の成果みたいな形で自分の中に残っている。
・かつてのマルクス主義から自分は変容した。肯定しようと。一方で日常的には度し難いという気分もますます強まる。けれど、その方向に流れると作品はメタクソに流れる。だからそういう気分で映画を作ってはいけないと自分に枷を課した。その方が楽なのはわかっているが。
・自分は世界を肯定したい。センチメンタリズムを肯定したい。9.11テロで世界はひどいことになっている。友人とその話をしていたときにその近くに友人の娘がいた。これからますます駄目になる日本で生きていかなければいけない子供だ。彼女の生まれた意味を肯定したい。それがあるから作品を作る。逆にそれが言えないならば口を閉ざすべきだと思う。

大変刺激的だった。宮崎駿の思想の深さ、それを鋭く切り取る渋谷陽一の質問、本当に見事な書籍だと思う。宮崎アニメを理解しようとするならばこの本を読んでおかないとというレベルでお勧めできる。